私たちはこのコロナ禍下において、いわゆる「非常時の生活」をもう一年以上過ごしてきました。
この国に住む、殆ど多くの日本人は「非常時」とされる生活をこれまで知りませんでした。
かつての太平洋戦争を経験した高齢の方々を除けば、「平和慣れ」した我々にとって初めて体験する「制約された日常」は、私たちの日々の生活のあり様を変えてしましました。
そして、この制限される生活様式に閉塞感を感じてしまう人達は少なくなく、社会全体が暗くなり人々が分断され、争いごとが増えるのです。
今、この混濁の世界のどこに私たちは希望と光を見出すのか、それを「東京五輪」にだけに頼り過ぎるのは正しくない。我々は、足らざるところを補い合う気持ちを持つことこそ、正常な社会への、「当たり前の社会への」活路とすべきではないだろうか。
編集長
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